小林たかひろ物語-0歳で労働者の要求実現


 <昨日の続き>
 ということで、リーフレットに掲載した写真の中から1枚ご紹介。
 赤ん坊は0歳?ヵ月の私です。写真をよく見て頂きますと、赤ん坊の頭に『団結ハチマキ』が巻かれているのがわかりますでしょうか?
 当時、日赤病院のナースだった母・純子が、生まれたばかりの息子=私を伴って、団体交渉に参加した時の写真です。

 その団体交渉でテーマになったのが『院内保育所の開設』でした。
 第二次ベビー・ブームによって、日本中で、保育所不足が起きていた時期です。

 日赤病院の理事者相手に母は「この子どもの面倒は誰が見るんですか!?あなたが面倒を見てください!」と、激しく詰め寄ったそうです。私も激しく泣き叫んで交渉をナイス・アシスト
 泣き叫ぶ息子=私を、交渉会場の机の上に”ドーン!”そのまま、団体交渉の席上、多数の理事者と労働者が見守る中でオムツを交換するパフォーマンス。

 このパフォーマンスが功を奏したのか、4年後には院内保育所が開設、私の弟は日赤病院の院内保育所に入所できたそうです。

 どうもこのエピソードは、日赤病院の労働組合員の間では『伝説』として全国に知れ渡っているらしく、大津日赤病院に勤務する私の妻もこのエピソードは『労働組合の学習会でずいぶん昔に聞いた事がある!その時の赤ん坊があなたなの!?』と驚いていました。

 というわけで、私は0歳の時から要求実現活動(笑)に取り組んでいたというエピソードでした。