水道広域化は絶対にやめるべき―各市町村のそれぞれが各市町村・住民の「命の水」に責任を持つべき

 一昨日の京都新聞に気になる記事を発見。
 「経費削減を目指し、広域化推進」のために、府内南部の市町村長と府知事が議論する初会合を開いたとのこと。
 人口減で、料金収入減により経営悪化するから広域化してスケールメリットをめざすとのこと。とうぜん、浄水場などの設備を統廃合し、各市町村がそれぞれ維持していた設備を手放して隣接市町村と共有したりするわけだから料金も統一される可能性が指摘される。
 そうなったら料金の低い自治体の住民は高い料金に強制的に合わせさせられることになる可能性が高い。反対するのは当然だ。

 そもそも広域化や施設統廃合で経費削減というのがホントかどうか疑わしい。市町村の境界を越えて給排水管を長距離に延伸しなくてはいけなくなるし、途中に増圧ポンプなども必要になるだろう。増える経費もあるはずだ。
 減らす経費の主なものは、各自治体の水道局の人件費などに限定される。地元住民でもある職員の人件費を削って、ゼネコンと大手機械設備メーカーへの投資に、支出先が付け替えられるだけという結果になりかねない。一円でも安くとか、金額だけで判断するのではなく、職員人件費の削減分がどれだけ税収減や地域経済へのマイナスの影響を与えるのかも考慮して慎重に進めるべきだ。

 そもそも、水源の安全性を高めることや、安定供給を守るためにも、それぞれの地域がそれぞれの地域にある複数の水源に責任をもって、可能な限りそれを守り続けることはコストの問題ではなく「命の水」の問題として大事なことだ。
 それぞれの地域に地下水や河川水などの水源が身近にあって、その地域住民が「私の街はこの水源の水を飲んでいる」という意識によって水源が守られるという側面もあろう。もし滋賀県民が琵琶湖ではない別の県の水源から供給を受けていたら、昔々に大問題になっていた琵琶湖の水質問題は、解決することができていただろうか?各市町村のそれぞれが各市町村・住民の「命の水」に責任を持つべきなのだ。

 あと、検討会の席上「水道事業の公的責任を放棄することになると、不安を増幅するような勢力がある」と指摘した市長もいたとのことだが、広域化して料金体系まで一緒になってしまったら、各市町村の公的責任が放棄されることになるのは明らかだ。まじめに地域の水道の問題について意見を述べる住民に対し「不安を増幅する勢力」などと、いう失礼な言い方は慎むべきだ。

 ということで、今回は東山区には直接関係のない話だが、気になったので書いてみました。ぜひ読者の皆さんのご意見ご感想をお聞かせください。