京都にも空襲があったー今日・1月16日は馬町空襲の日

馬町空襲の碑

 私が子どもの頃、「戦時中、京都には空襲がなかった、京都は戦災に会わなかった」という、いわば都市伝説のようなものがあって、私もそう信じていました。そして、その理由については「アメリカが歴史・文化を大事にする国だったから」とか「原爆を投下する予定があったから」などの話がまことしやかについてきてたわけですが、そもそも東京・大阪ほどの大規模ではなかったものの、京都にも空襲はあったし多数の犠牲者もいたというのが事実です。

 「馬町空襲を語り継ぐ会」のホームページの記載を引用します。

1945年1月16日午後11時20分ごろ、米軍B29が一機京都市上空に飛来、
京都市東山区馬町付近に爆弾を投下した。
府の記録によると、死者34人、負傷者56人、全焼・全壊31戸、半壊112戸。
当時の修道国民学校(元修道小学校、元東山小学校、現在の東山総合支援学校)や
京都女子専門学校(現・京都女子大)などが 大きな被害を受けた。

 写真は、元修道小学校・現東山総合支援学校の入口にある記念碑です。本日撮影しました。毎年、1月16日には記念碑の前で追悼式典が開催されてきましたが、2018年を最後に式典は開かれなくなったので、私は個人的に犠牲者の追悼のために1月16日にこの記念碑の前を訪れるようにしています。

 この記念碑を建立するために、資料収集や学習会、寄付金集めに奔走された酒谷義郎氏が、先月お亡くなりになったことも思い出しつつ、今日は追悼のために記念碑を訪れました。

 また、二度と日本を戦争する国にしない決意を込めて、馬町の交差点で馬町空襲のことにも触れて、街頭演説も行いました。