今日、粟田学区で訪問行動をしていたら「うちの近所で新築工事してるねんけど、あそこの家、元は志賀直哉の旧居跡で国語の教科書にも載ってたんやで」「ほんまやで!この教科書見て~な」「何の記念碑も残さんとつぶしてええんかなぁ?」と見せてもらったのがコレ。
— 小林たかひろ (@kobakoba3) 2022年12月6日
どうやらマジっぽい!どうする俺? pic.twitter.com/LX7UNRuqf8
ということで調べてみたところ、志賀直哉は今でいうところの「引っ越し魔」というやつで、生涯で23回の転居を繰り返していたそうで、東山区粟田口にも1923年3月~1923年10月まで居住していたようです。
山科区や、北区の旧居跡も今は取り壊しになっているようで、この件に関しては新聞報道もされています。
東山区って、ホント歴史的なエピソードがあるスポットが多すぎて、明治以降の歴史とかってあんまり大事に顕彰しようっていう気概が無いのかなぁとガッカリするんですが、さすがに「志賀直哉の旧居」ってなると「それで良いの?」って気がします。
現在の所有者がこの事実を把握しているか?とか、京都市教育委員会がこの事実を把握しているのか?とか、志賀直哉のご遺族がこの事実を把握しているのか?とか、いろいろと気になるので、これからもう少し詳しく調べてみようと思います。