国家権力が個人の健康問題に介入する薄気味悪さ


禁煙ファシズムと戦う
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 4回連続「本が好き!」 の企画ですwww

 あまり公表したくない事実ではあるが、実はコバコバは喫煙者、しかもかなりのヘビースモーカーだったりする。
 もちろん健康に悪いということは重々承知で何度も「禁煙」しようと努力もしたんだが、現在に到るまで達成できていないのだ。

 ただ、なんとなく昨今の禁煙ムードの高まりには何となく違和感を覚えるというか、なんだか「スケープゴート」 に仕立て上げられてしまったかのような恐怖を感じることも多かったので、タイトルを見た瞬間にビビっときて「無料だし、読んで見るかw」 と軽い気持ちで注文した次第。
 読後感は、「非常に大事な問題提起をはらんでいるのに、喫煙者のエゴが邪魔をして非喫煙者の心を捕えるには到っていないのが実に勿体無い」 という感じ。まったくお門違いの反論がくるのが目に見えている、、、って言うか、すでに来ているw

 共著者の斉藤貴男氏は自身は非喫煙者であり、どちらかと言えばタバコなんてなくなって欲しいと思っている人物だが、昨今の 「禁煙以外の道を認めない空気」への違和感を感じとり、アメリカの禁煙運動の実態や、厚生省の「健康日本21」プランの危険な本質について、 いかにも「斉藤貴男らしい」視点で分析を加えている。

 斉藤は、2003年5月1日から施行された、健康増進法の第2条にはこう書いてあることを指摘する。

 (国民の責務
第二条 国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、 生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない

 健康であることが国民の責務なら、自分の欲望・享楽のために不健康な生活を送ろうとする国民は非国民ということになるではないか。 タバコなんてもってのほか!酒もダメ!ジャンク・フード食べながらパソコンの前で作業をするのも、ケガの危険を伴うスポーツも、、、 と実に窮屈な社会。
 もちろんそれを「恋人」「配偶者」が、自分にとって大事な人に向かって言うのは正しい(っていうか、言われてみたいw)。「お母さん」 なら、自分が体を張って生んだ子供相手に無条件に言うだろう。しかし、国家が法律でそれを国民に強制することの違和感!について、 鈍感でいて良いものだろうかと思うのは僕だけだろうか?ちなみに、日本共産党この受動喫煙防止が最大の目玉のように報道されていた健康増進法」に「反対」の態度表明をしている。

 さすがである。

 これは余談だが、実はこの「国民の責務」条項を口実にして、2003年以降、全国各地で自治体が無料で実施していた自治体健診に 「一部負担金」が導入されていく流れが生まれたのだ。
 ウソだと思うなら、有料化を実施した地方自治体の会議録を探してみて欲しい。答弁に立った「保健福祉部長」だか「健康推進部長」だかが、 「エー、、『健康増進法』には国民が自らの健康増進に努める責務を定めておりまして、、、自らの責務として、、、、健康増進のため、、、 費用の一部について負担をお願いしていただくという趣旨でございます」って答えているのが見つかるはずだ。

 もう一つ、斉藤の指摘を紹介しておく。

 なぜ、厚生省は予防医学を推進したいのか。斉藤係長(厚生労働省・保健医療局健康増進課) は続けた
 「背景にあるのは少子化と高齢化です・・・増大する医療費を出来るだけ抑える必要がある・・・」
 タバコ規制を進めて医療費削減につなげようという発想は、以前から厚生省にはあった・・・ 「喫煙対策のコストベネフィット分析に関わる調査研究報告書」によると・・・<「タバコによる社会的損失総額」は3兆7935億、このうち、 「タバコによる超過医療費」は1兆1512億>・・・
 人間は何のために生きているのかを考えさせられる。肝機能障害につながる飲酒はもちろん、ケガをするスポーツ、目を悪くする読書、 ありとあらゆる人間の営みが”予防”の対象になり得る。
 長生きしすぎた老人や身体障害者、働かない貧乏人、 余計なことを言って社会の生産性を低下させるジャーナリストや評論家はみんなとっとと死んでくれることが財政にとっては一番ありがたいこととなる。

 ちょっとした極論と言えなくも無いが、昨今の「柳沢発言」等にも見られるように、厚生労働省の発想は一事が万事このように、 健康の問題や少子化の問題等などを「社会の利益にとってどうか」「国家の利益にとってどうか」 という発想で考える傾向があるように思えてならない。
 そういう部分に、僕的には危険なニオイを感じずにはいられないのだ。
 国民一人一人に「自分が健康になる責務」や「他人の健康にも気を使う責務」を押し付ける、、、その延長線上で待っているのは、「超」 がつく国民管理社会だ。

 これ以上書くと、自分が禁煙に失敗し続けていることについての免罪符みたいになっちゃうからやめとくけど、 嫌煙権運動が市民運動主導から国家権力主導に転換したことに注目した本書はなかなか読み応えがあった。
 イロイロと異論のある方もおられるかと思うが「喫煙者にとっての(何となく差別されているように感じる)居心地の悪さ」と 「嫌煙家にとっての(国家権力の執権代行者としての立場から来る)優越感」には、十分に注意をはらったほうが良さそうだ。もしかしたら、 喫煙家vs非喫煙家の対立よりももっと大事な対立があることに目を背けさせるための策略かもしれないですぞ、 、、

 

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