『情報』は『商品』か?」―web2.0についてマルクスさんに聞いて見た・・・その6

その6:「『情報』は『商品』か?」
*以下の文書はその5の続きです

目次:
第1回「マルクスさんにインタビューしてみよう」・・・記念すべき第1回、ネタフリのみ
第2回「そもそもマルクス経済学って?」・・労働価値説から剰余価値まで
第3回「そもそもマルクス経済学って?」・・・剰余価値から利潤率
第4回「自己増殖する資本」・・・資本の回転。利潤増大のさまざまな手法
第5回 「ネット企業が『生産』する『商品』は何か?」・・・生産的労働と不生産的労働

カール・マルクス氏が喋っている体裁をとってますが、マルクス氏の生きた時代には存在すらしなかった「ITビジネス」 について考察したものですので、当然のことながら書く内容は当ブログ管理者であるコバコバの到達した理論水準に規定されます。
 賢明なる読者の皆様においては、マルクス経済学的に見て不正確な記述が、 さらに増えていくことを覚悟の上で読んでいただければ幸いです。
 また「この記述はマルクス経済学的に見ておかしい」というご指摘も大歓迎です。

 

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 回を追うごとに読者が増えてる感じですね。コメント欄の討論もだんだん活発になってきましたし。
 そうみたいですね。私もちょくちょくコメント欄に出没させてもらってますが、、、
 って言うかマルクスさん、コメント欄の書き込みが軽すぎwww
 2ch用語とか使うマルクスって、ありえなくネ?
 別にえーやん このブログ自体が読みやすさ重視なんやさかい
   いきなり関西訛りかい!
 ところで、今日は前回に引き続き 「商品とは何か?」について、もう少し深めたいわけです。
 コメント欄で、指摘のあった「著作権」や「商標権」「特許」といったたぐいの「商品?」について、ちょっと解説を。

 わかりました。
 まず、商品というのが人間の労働によって作られること。他人と交換されることを前提としていること、 よって何らかの他人の欲求を満たす=使用価値を持つこと。人間の労働時間に比例した「価値」 が含まれることまでは説明済みですね。

 そうですね。
 「著作物」や、「特許」や「商標」を含む何らかの「工業製品」が、商品であることは間違いないですよね?
 もちろん。

 ところで、生産能力が限りなく増大し続ける社会においては、商品の「価値」を「生産」 することよりも、商品の「価値」を「実現」することの方が、大変だというのはわかりますか?

 私が、ライブドアショックマルクス経済学でちょっとだけ触れた話ですね。要するに、生産された「商品」を 「貨幣と交換する」=「価値」を実現するための労働も現代社会では必要(それも、生産的労働を上回るほどの規模で)になると。
 そういうこと。「価値」を実現するには、その商品がを生産するのに費やされた「個別的労働時間」に基づく「価値」 と等価値の貨幣が交換されなくてはいけないわけです。
 ところが、競合他社によって、より少ない「個別的労働時間」で作られた商品に価格競争で負けて、在庫が残る、 あるいは赤字覚悟で売らざるをえなくなると言うことはよくよく起こることです。
 確かに。
 せっかく苦労してつくった「商標」や新たに研究開発した「特許」成果が、他社に盗まれれば、 それを創るのにかかった労働時間分の価値を貨幣に交換できなくなりますからね。
 それを防ぐのが「特許権」や「商標権」というわけです。
 だから「商標」や「特許」という物は、それが何らかの実体を伴った「生産物」とセットになって初めて「商品」と呼べるわけです。

 なるほど。
 しかし、ライセンスや特許権の売買という形で、実際に実態を持たない「商標」や「特許」のみが「貨幣」 と交換されることもありますよね?

 それらは、他社によって製造される「商品」によって、自分が製造する予定の「商品」の「個別的労働時間」に基づく 「価値」が、目減りすることを容認する代わりに、その目減り分に相当する貨幣を受けとる行為と言えます。
 第一、いくら優れたアイデアでも、そのアイデアが「商品」に対象化されないことには、 使用価値も価値も創造されないですよね?

 
 それは著作物についても同じだと。

 基本的にはそうです。著作権を守るための労働は「価値を実現する」ための労働で、著作権の一部を販売することは、 著作物の「価値」の相対的低下分を補填する行為と見なせます。
 「著作権」や「特許」といった「権利」は、労働によって生産されるなんらかの 「商品」に対象化されることで初めて「価値」としてこの世に出現することが出来る、 そういう意味では「権利そのもの」を「商品」と呼ぶことには少し抵抗があります。
 (おっと、これまた大胆な仮説、、、)
 なるほど、それでは「情報」はどうですか。これも「商品」なのかそうでないのか、よく分からないところがあるのですが・・・

 そうですね。
 あなたの隣の家が5分前に火事になったという「情報」に「価値」はありますか?

 チョチョチョ!そ、そんな大事なこと何でもっと早く教えてくれないんですか!

 例え話だよ!!って言うか、白々しくてこっちが恥ずかしいじゃねーか!
 まあ、「隣の家が5分前に火事になった」という「情報」が、大事な情報である= 「使用価値」があることは分かりました。
 それでは、その情報を教えた私に、あなたはお金を払いますか?
 なんで金払わなきゃいけねーんだゴルァ!
 ・・・とは言いませんが、たぶん払わないでしょうね。


 そうですね。
 ところが、お金を払って「情報を買う」という行為も現代社会ではごく当たり前のように行われているわけです。
 それでは、その「情報」のもつ「価値」は何によって決まるのか?

 えーっと、何回も説明されたように「商品」の「価値」は、その「商品」をうみだすのに必要な「社会的必要労働時間」 ですよね・・・

 そうです。
 「情報」そのものは「価値」を持っているわけではない、 それは「空気」や「自然のわき水」が人間にとって欠かせない 「使用価値」を持っているにもかかわらず「価値」 を持っていないのと一緒です。
 「空気」も「圧縮空気」としてボンベに詰めれば「価値」が生まれて貨幣と交換できる、「自然のわき水」も、 ペットボトルに詰めれば2リットル200円ぐらいで売れる。どちらも「労働」が加わることで「価値」が生み出される。
 先ほどの「火事」の例で言えば、防災無線・非常ベルなどの設備、 それらを製造したり、 それらの装置を使って「監視」したり「必要なタイミングで情報を伝える」ために、 人間による労働が加えられるなら、そのことではじめて、貨幣と交換できる「価値」を持てるようになる。


 なるほど。
 セコムとか、ガスの警報装置なんかには、なんの不思議も感じずにお金を支払いますもんね。
 それでは、「本」や「新聞」などの「メディア」によって提供される「情報」はどうなんでしょう?


 同じことです。「情報」を手に入れるのにも、「記者」とよばれる労働者による「労働」が必要ですし、それらの「情報」を 「文字化する」「整理する」「編集する」「校閲する」「印刷する」「製本する」「放送する」などの「労働」が加わることで 「著作物」や「メディア情報」として、販売できることになります。
 「使用価値」を持っているのは「情報そのもの」だが、「(交換)価値」を持っているのは 「情報を伝えるための何か(本・雑誌・放送波・等々)」だということです。
 
 もちろん「商品」の二つの側面という話にてらせば、その「情報」に「使用価値」が無くては、いくら「労働」 がくわえられた「情報(を伝える何か)」も無価値=貨幣と交換されないわけですが・・・
 そういうこと。
 この「親バカ党宣言」に書かれている「情報」なんかは、まさに「無価値」 な情報の典型ですナwwww
 出版したってゼッッッッッタイ売れない。
 そ!そんな、、!
 ま、今日はちょっと脇道にそれたけど、IT産業=インフォメーション・ テクノロジー産業について分析するために必要な知識ってことで。そろそろ文字制限も近づいてきたから、続きは次回ってことで。
 (クソー、このまま黙ったまま終われるかっての) 
 そういえば、マルクスさんの本も最初に出版したときは全然売れなかったんですよネwwww
  ギャフン!

 


その7へ続く

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