観光地としての「持続可能性」

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花見小路

 写真は数日前、平日夕方の花見小路通りです。これでも自転車で近づけるレベルの観光客少なめな時間帯です。石畳・伝統家屋・木造低層・・・確かに、貴重な景観です。

 こういう華やかな表通りから、路地を一本横に外れると、切り通しの路地(写真左下)があって、さらにその奥(写真中下)に進むとそこに木造伝統家屋の長屋(写真右下)があって、そこに、その地域の代々にわたって住み続けてきた地域社会の担い手が生活している、、、こういう「職住近接」こそ東山区の観光地としての魅力の源泉、奥深さなのだと思います。

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 私はこの間、観光公害の問題を一貫して問題にしていましたが、観光客に来るなと言ってるわけではありません。まして、外国人を排斥しようという思想には真っ向から反対します。

 しかし、観光地として、受け入れ可能なキャパシティーっていうものがあります。まして、言葉の通じない外国からのお客様であれば、日本人のリピーター客よりも丁寧な対応が必要です。現在の、訪日外国人観光客・呼び込み一辺倒の政策は、明らかにキャパシティー・オーバーを起こしています。

 京都市が主張する「分散化」は、こういう花見小路通りに、ギリギリ地域住民が自転車でも近づける時間帯を無くし、一本横に外れたところにある路地奥の伝統家屋を観光客向けのビジネスに売り渡してしまうことになるのではないでしょうか?

 現に、日本人観光客数は過去4年間連続で減り続けています。あまりの混雑で「行く気にならない」と満足度を下げているのですから当然です。京都観光の「強さ」は、修学旅行に始まって「何度でも行きたくなる街」として、リピーター客によって支えられてきました。今、京都府・市は、そのリピーターをも犠牲にして、訪日外国人観光客の宿泊数の増加を目指しています。

 観光地としての「持続可能性」を犠牲に、目先の利益を追及する政治は転換するしかありません。