外国人嫌悪に陥らないために

f:id:kobakoba3:20190220130933j:plain

 写真は、東山区ではすっかり日常風景になってしまった、外国人観光客がキャリーバッグを引っ張って歩く風景です。「日常」になったとは言え、あのガラガラとうるさい騒音には慣れることはありません、はっきり言ってウルサイです。

 彼らが本日宿泊するのは普通のホテルでしょうか?それとも「民泊」でしょうか?どちらにしても、車も普通に通行する道路を半分塞いで歩くのは危ないです。またここまで来るのに使った交通手段は、、、おそらく市バスでしょう(鉄道駅との位置関係から見て)。満員・混雑のバス車内で、大きなバックに厳しい視線が送られたことが容易に想像できます。

 こういう風景を見て懸念するのは、東山区の住民が外国人嫌悪に陥ってしまうことです。中国や韓国との、歴史問題がからんだ外交問題は複雑で「単純にこうだ」と決めつけることは絶対にやっちゃぁいけないことです。そして、当事者同士が直接触れ合える「観光」を通じた「交流」は、複雑に絡んだ「外交」問題を解きほぐす上で、本来は推奨すべき事柄です。

 ところが、最近の「観光公害=オーバー・ツーリズム」の状態は、東山区民の「外国人観光客を、大事に お も て な し しよう」という、心のゆとりをゴリゴリと削っていってます。こんな状態が続くのは、お互いにとって不幸です。

 大事なのは、彼らを「金づる」として見るのか?それとも「同じ人間」として、対等の立場で迎え入れるのか?ということだと思います。安倍政権の「観光立国」「インバウンドの取り込み」というアベノミクス路線は間違いなく前者です。

 京都の人にはもともと、観光客の存在に慣れていたり、大学の街でもあるので海外からの留学生と触れ合う機会が多くて「地方からの観光客や、外国人観光客が歩いていても、当たり前の風景と受け止め、ジロジロ見たりしない」という『寛容さ』があります。これが京都観光が、旅行客≒リピーターを引きつける魅力だったはずです。

 観光地としての持続可能性のためにも、「民間外交」の健全な推進のためにも「外国人観光客呼び込み一辺倒」の政治は、もう終わらせるべきです。