応仁の乱以来のまち壊しー京のまち壊しストップ!

 少し時期を逸しましたが、日曜日のしんぶん赤旗(日刊)のコラムに、京都ですすむ、民泊・ホテルの建設ラッシュ・まち壊しの話題がとりあげられていました。

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 せっかくなので、全文転載します。

 京都で「先の戦争」というと、それは応仁の乱のこと。ほんとかな、と思いましたが、何度も耳にしたことがあります。京都の歴史の長さを物語るエピソードでしょうか▼応仁の乱とは、室町時代の1467~77年、日本を二分した大乱。戦国時代の幕開けともいわれています。京都は壊滅的な被害を受け荒廃しました。詳しくはベストセラーとなった呉座勇一氏著『応仁の乱』などをご参照ください▼その京都で「まるで応仁の乱以来のまち壊しが進んでいる」と悲鳴があがっています。歴史を知る町衆の危機感のあらわれです。「住んでよし、訪れてよし」から、このままでは住み続けられないまちになってしまう▼京都の魅力は寺社、仏閣だけではありません。高さ制限など自然環境を生かしたまちづくり。都心部西陣織や友禅、清水焼などの伝統産業が根付き、路地裏を歩くと生活の息づかいが感じられます▼ところが安倍政権の観光戦略のもと京都府市ともに観光客頼み。ホテル・簡易宿所・民泊の建設を促進。学校跡地をホテルに差し出し、高さ制限を緩和し、地価の高騰で家賃も高騰。違法民泊の横行で風紀も悪化しています▼観光地として耐えられる以上の観光客が押し寄せ「観光公害」と呼ばれる事態が起きています。京都の日本共産党は「安心して住み続けられる京都へ」緊急提言を発表しました。このなかで宿泊施設の総量規制をはじめ古都を守り発展させる道はどこにあるのか、議論と共同の取り組みを呼びかけています。

 まぁさすがに「応仁の乱」と比べるのはさすがに大げさかと思いますが、バブルの頃の、地上げ・マンション建設ラッシュによるまち壊しとは十分に比肩する規模ではあります。

 京都の共産党は当時、マンション建設ラッシュに抗して、住民運動と議会論戦を車の両輪として運動を広げ、あちこちでマンションの建設断念や高さの引き下げを実現させるとともに、議会では全国的にも厳しい、建物の高さ制限と景観保全の条例を成立させることができました。

 東山区にも当時の話として、今熊野学区にある剣神社の南側に立派な枝垂れ桜があります。この枝垂れ桜を伐採するマンション建設計画が持ち上がり、当時の町内会の役員さんと藤本貞子・市会議員が反対運動をして計画を撤回させて桜を守ったという実績があります。

 その町内会で反対運動の先頭に立ったのが、なんと白坂有子さんのお父上だったということで、なんとも縁を感じます。こういう歴史の積み重ねが京都の共産党の強さだと思います。

 私が、市会議員団の政務調査員として、過去の資料を整理していた時に見つけた「マンション建設反対運動ハンドブック」は、ページ数も何十ページもある大作で、計画段階での反対運動の組織の仕方や、説明会の開催のさせ方等など、辞書のように使えるバイブルでした。

 私も党の先輩に見習い「住民のための民泊対応ハンドブック」を編集・作成し、少しは貢献できたかなと自負してますが、やはり、議員バッチがあればもっとイロイロできたのにと悔しい思いをしたことも多々あります。

 もっと皆さんの「役に立ちたい」これが私の思いです。