京都にも空襲があったことを知ってますか? 馬町空襲を語り継ぐ会

 74年前の今日、1945年1月16日。東山区・馬町付近に、米軍が焼夷弾を投下しました。

 私も含め、多くの京都市民は「京都は空襲がなかった(だから、古い木造の建物が残った)」と言う話を教えられてきました。

 戦前、京都のような本土の中心部・日本の歴史文化がギュッと集まった、日本人の心のふるさとともいうべき「京都」の街にまで、空襲の驚異が迫ってきたことを知らせたくなかったのでしょう、軍による報道管制によって、この事実はほとんど報道されることがありませんでした。多くの市民が知らされて来なかったため「京都には空襲がなかった」という都市伝説が生まれたわけです。

 この京都にも空襲があったという事実を知らせる活動として「馬町空襲を語り継ぐ会」が2013年に発足、2014年には元修道国民学校(現在・東山総合支援学校)の校門横に記念碑が設置されました。

 詳しくは、「馬町空襲を語り継ぐ会」のホームページをご覧ください。

 

vinaccia.jp

 

 今日は、空襲のあったメモリアルデーということで、記念碑前で慰霊式が行われましたので、私も参加しました。

 

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馬町空襲を語り継ぐ会・慰霊式

 「会」としての正式な慰霊式は昨年が最後ということで、今年は有志による開催でした。今回、記念碑をつくるために集めた寄付金の残余分で、犠牲者名(判明した名前・41名分)を記したプレートが設置されました。名前を探すために、警察の事件調書、火葬場の火葬記録、近隣寺院の法要記録などを当たりつくしたとのことで、大変なご苦労だったろうと思います。

 名前の下に没年齢が記されているのですが、3才とかの乳幼児も多数含まれており、あらためて、戦争というのは弱者に過酷な犠牲を強いるものだと痛感しました。

 二度と戦争をしないと誓った憲法9条が変えられようとしている今、あらためて戦争の事実を記録する地道な活動に敬意を評しつつ、安倍政権による改憲の動きを阻止するために全力を尽くす決意です。