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「二度と戦争させない」が原点

 久しぶりのブログ更新です。

 現在、自分の自己紹介リーフレットを作成中です。もうすぐ完成ってところまでこぎつけました。

 で、今日からしばらく、リーフレットは文量が限られていて書ききれなかったことを小出しに紹介していきます。

私は被曝3世

 私の祖父(故人)は、長崎で被曝をしています。
 そのことを知らされたのは高校1年の夏のことでした。
 原水爆禁止世界大会に高校生平和ゼミナールのメンバーとして初参加、そのおみやげを持っておじいちゃんに会いに行った時です。

「実はなぁ、おじいちゃん長崎で原爆の放射能を浴びとるんじゃ。被爆者手帳はなぁ、被爆者じゃと知られると子供や孫までイジメられるでなぁ、わざともらわんかった」

 ビックリしました。なんせ、祖父は兵庫県の生まれ育ちで、九州なんて親戚もいなければ縁もゆかりも無い土地。しかも、私の父もその時まで知らなかったのですから、おじいちゃんどんだけ口が堅いのって話です。

 「昭和20年の8月1日に赤紙が来てな、このへんの若いもん集められて、バスで出発したんが8月5日の夜、どういうわけか広島が通れないゆうことで日本海側に回って、、、後で判ったんじゃが、広島が通れんかったんは原爆のせいじゃ、で、8月8日にやっと久留米の駐屯地についてな、鹿児島からのアメリカの上陸に備えるいうことったんじゃ」
「で、翌日の昼に、長崎の方が昼間じゃゆうのに、ボーっと夕日みたいに赤うなってな、その日のうちに長崎へ行くちゅうことになったんじゃ。」
「一面焼け野原で、死体がゴロゴロしててなぁ、ワシは大学の校舎みたいな建物を病院にしとってな、その入り口で怪我人の受け入れをやっとったがよ~」
「たかひろ~、母親っちゅうんは偉大やぞ~。自分も大怪我しとんに『自分は後でいい・死んでもいいから、この子を助けェ』ちゅうてな、死にかけてる赤ん坊や、もう死んでる赤ん坊を、ワシに押しつけてくるんじゃぁ。ほら辛かったわぃや」

 うーん、脳内で爺ちゃんの訛りが忠実に再生される。(涙
 いまでも演説でこの話を入れると、ほぼ100%涙目になってしまいます。街頭ではちょっと話せません。

 でもって、自分が被爆者3世と知ったその時、まぁ驚くとともに、むしろ誇らしい気持ちがしたのを覚えています。
 自分自身がこの平和を求める運動に一生懸命にがんばれる理由(口実?)ができたというか、こうなったら「核廃絶」「二度と戦争をさせない」を、自分のライフワークにしよう!と思えたことで、自分自身が一回り大きくなったような気がしたというか・・・

 ということで、政治家としての自分の原点は「被爆者3世」としての自分(=アイデンティティ)と、そこからくる「二度と戦争をさせない」の強い思いなわけです。

 だから、安倍内閣の「戦争する国への暴走」は本当に許せません。