不安倍増内閣の改革の柱が「教育改革」であることは皆さんご存知のことと思う。
その改革の支柱が「教育基本法の改悪」であり、その後に待ち構えているのは、教育をより「新自由主義的」な方向へと転換させる、
諸政策であることもだいぶん知れ渡ってきた。
具体的には、学校選択制であり、全国一律学力テストの実施と結果の公開であり、教育バウチャー制である。
要するに、大雑把に言うと
児童の保護者に対して、教育サービスの享受にのみ使えるクーポン券を支給する。
小・中学校の学区を取っぱらって、児童と保護者は私立・公立を問わずに自由に学校を選択できる。
それぞれの学校には生徒数に応じて補助金が支給されるために、学校の評判を高めようというインセンティブが働き、
競争により学力が向上されることが期待出来る。
という内容で、すでに東京都の一部では先行的に実施されていて、学力テストの結果がかんばしくない中学校などで「入学希望者ゼロ」 みたいな事態や、学力テスト対策で「修学旅行の中止」や「運動会、文化祭の期間短縮」などがおこっているとのこと。
東京の事例を見ても、かなり破綻しているなぁと感じるのだが、西日本(特に京都) の学校でこれをやっちゃうととんでもない事態になるんじゃないかという悪寒がするのである、、、
以下に書く内容は、あくまでもコバコバの個人的な主観に基づく想像であり、 僕個人としてもこのような予想は外れて欲しいと心から願わずにいられないということをあらかじめ断っておきます。
関西以外の読者の皆さんにはあまりなじみのない言葉かもしれませんが「同和校」という言葉をご存知だろうか?
学校区内に被差別部落=いわゆる同和地域のある学校を「同和校」と呼び、部落解放同盟という団体が
「同和地域の住民は差別をうけてきたから、教育水準が低い」→「子供の教育水準を引き上げないと差別は無くならない!」→
「行政は同和校に特別の配慮をすべきだ!」と、行政に圧力をかけて、同和校に対する「教員の同和加配」「同和担当教員の配置」「施設・
設備費の重点配分」といった優遇が、つい最近まで行われてきたのだ。
僕の通学していた小学校・中学校の校区には同和地域がなかったが、隣の学校にはあったので、隣の小学校・ 中学校はずいぶんと新しいきれいな校舎だったのを憶えている。また「担任の先生が一クラスに2人もいるらしいぞ」「なんか一部の子供だけ、 毎日のように家庭訪問があって、家庭教師みたいな事を学校の先生がしてくれるらしいぞ」「それって、 部落の生徒が頭が悪いと差別されるから特別待遇してるらしいぞ」という噂が、まことしやかに流れていたもんだ。
高校には「同和校」は無いのだが(学区が広くて、しかも毎年境界線が換わる)その代わり、 同和地区出身の生徒は特別な奨学金があったり「どうせ俺、公務員になるから勉強なんかしないもんね!」と遊んでばかりいるという話を、 公立高校の友達からよく聞かされた。
一応、同和対策事業特別措置法の終了とともに、こういう特別扱いについては是正させる流れになっている(そりゃそうだ!)。
同和加配教員も徐々に解消しているらしい。
また、今まで解同問題は「タブー扱い」でまともに取り上げてこなかったマスコミも、だんだん報道をしはじめた。
しかしながら!部落解放同盟一部幹部による同和利権を食い物にしてきた(そして今もある)名残は、いまだに根深い物がある。これは、
関西人なら知る人ぞ知る話だ。
こんな歪んだ同和行政が教育の分野にまで食い込んでいた自治体で、学校選択制や教育バウチャーなんてものが実施されたらどうなるか?
コバコバが想像したのは、できれば当たって欲しくない最悪の未来像だ。(って言うか、そもそも教育バウチャーなんて実施させてはいけない!
)
シナリオ1・・・これは、まだマシな方の未来予想。
施設の充実した旧同和校に人気が集中し、 その他の学校の生徒のやっかみの対象になる。
「新しい差別(学力差別)」と「古臭い差別(部落差別)」が、ごちゃ混ぜになって「同和の奴らめ!」って言い出す奴は必ず出てくる。
「人気が出すぎて定員オーバー」→「選抜試験を実施」しだすと、またゾロ「例の団体」
が出てきて圧力をかけ始めるだろうというのも容易に想像がつく話。
シナリオ2・・・こちらは最悪の未来予想。
旧同和校が施設が充実しているにもかかわらず「その他の理由」で、人気が低下し、
部落解放同盟員の保護者の児童ぐらいしか入学しなくなる。
もちろん、ここで言う「その他の理由」というのは「部落差別意識」を想定しているのではない。
例えば「うるさい保護者(=解同幹部)がしょっちゅう学校に乗りこんでうるさく言ってくる」「子供同士の口喧嘩が『差別』
と認定された○○さんが、糾弾会でエライ目に遭わされた」等の噂が流れればたちどころにその学校の入学希望者が減るだろう。
しかし結果的にそうなったら、差別事例を捜しては「糾弾」によって、同和利権を存続させるために暗躍してきた「部落解放同盟一部幹部」
にとってこれほど都合の良いことはない。なんせ現実の差別意識(それが、部落差別でなかったとしても)によって旧同和校に同和地区外の児童・
保護者が入学しないという事態がうみ出されるのだ。
「それ見てみろ!今でも差別意識は残ってるんだ!!」
「行政は何をやってるんだ!糾弾する!!」
ってなことになったら・・・
もちろん、部落差別がいけないというのは当たり前の話だ。
しかし現状起きている事態は、同和利権にしがみつく部落解放同盟一部幹部による「税金への『たかり』『ゆすり』のタグイ」であり、
その事を発端とした「差別意識のマッチポンプ」だ。そして、その事を一貫して追及してきたのが「日 本 共 産 党 だ け」というのは皆さんご存知の通り。
ということで、教育バウチャー制そのものへの批判は他のブロガーに譲るとして、 コバコバが京都の特殊事情に絡めて教育バウチャー制度の隠れた問題点を指摘してみた。
繰り返し断っておくと、これはあくまでも、僕の個人的な想像に基づく「当たるかどうか分からない未来予想」だ。そして、 できれば当たって欲しくない、とつくづく思う(特にシナリオ2)。
ただ、保護者が学校を自由に選択する場合に「統一テストの成績と学校への通学時間の関係だけで選択する」ので、 「競争によって学力が向上するはず」等という単純モデルは (いかにも米国のシカゴ学派の経済学者が考えそうな話だ) 現実の社会に当てはめるととんでもない誤りを引き起こす可能性がありますよ!ということを指摘したかったのだ。