そもそもマルクス経済学って?―web2.0についてマルクスさんに聞いて見た・・・その2

その2:そもそもマルクス経済学って?
*以下の文書はその1の続きです

 

京都観光はどうでしたか?マルクスさん。
 まあまあかな。
 って言うか、 人多杉
 チョwwww。そりゃ、日本一の観光都市で、今が最高の観光シーズンですから。
 え?っと、、、、それではさっそく。
 前回は「グーグルってマルクス経済学的に見てどうよ?」っていう問題意識を提示しただけで終わっちゃいました。今日は、 そもそも「マルクス経済学(通称:マル経)ってどんな経済学やねん」って話を中心にインタビューします。
なるほど。
   今年の1月16日に、日本のインターネットビジネスの世界では、知名度だけなら1・2を争う”ライブドア” って会社の社長が、粉飾決算の疑いで逮捕されましてね。
 えぇ。もちろん知ってますよ。
 私に言わせれば想定の範囲内の出来事でしたがね。
 ・・・ベタすぎですよ、マルクスさん。パソコンの前で誰も笑わなかったですから。
 まぁそれはいいとして、そのときに僕が「ライブドアショックマルクス経済学」と 「ライブドアショックマルクス経済学その2」というエントリーを書いたんですよ。
 あの記事は僕も読みました。
 ずいぶん「雑」な議論だなーと思いつつ、 まあ短い文書で読みやすさを重視したんだろうなあと思いながら読みましたけどね。
 え?!?なんかそれって偉そうじゃありません?って言うか
 「あんた何者?」って感じなんですけど

 マルクスですが、何か?

 失礼しました!(笑)
 さて、冗談はさておき。ライブドアショックに関わっての僕のエントリーでは「富の増大の唯一の源泉は『生産的な労働』 のみである」って事を強調したわけです。
 これって、マルクスさん以前の経済学でもすでに明らかになっていたことですよね。
 まあそういうことです。私が新たに追加した物は突き詰めれば「剰余価値」についての学説だけですからね、 経済学の分野では。
 それでですね、今日はせっかくですから、マルクス経済学について、 ごくごく簡単なスケッチを話していただきたいんですよ。
 基礎知識が無いと、話しについていけなくなっちゃいますから。
 わかりました。
 資本主義社会というのは、商品の生産と交換がそれまでのどの時期と比べても、より大規模に、日々発展しながら、 行われるようになった社会として、私たちの前に登場しました。
 私はまず、この資本主義社会の仕組みを明らかにするために、経済の一番基礎となる最小単位である「商品」の分析から研究を開始しました。

 資本論の第1章のタイトルも「商品」でしたね。

 「商品」は、言うまでもなく人間の手によってのみ生産されるわけですが、最初から「他人の商品と (わかりやすく言えば貨幣と)交換」することを目的として、 生産されるんですね。
 自分が消費するためじゃない、消費するのはあくまで他人。
 資本主義以前も、交換することを目的に生産活動をする人たちがいたわけですが、それほど大規模じゃなかった。 日本の江戸時代も士農工商の「工」「商」は圧倒的少数派だった。資本主義になってやっとそれが大規模になってきたと。

 なるほど、

 「商品」には二つの側面があります。一つはその商品が他人と交換されるために、どのような「質」 を持っているかという側面です。
 その「商品」が人間のどんな「欲求」を満たすのか?と言ってもいいでしょう。これを私は「使用価値」を名付けました。
 もう一つは、交換する際の尺度です。全く違う「質」を持った2種類の商品が、「貨幣」 という一つの尺度で測ることが出来るという、よくよく考えるととても不思議な現象です。
 これを商品の持つ「交換価値」 あるいは「価値」とだけ呼ぶことにします。
 私は「商品」の持つこの二つの側面のうちの、わかりにくい方の一つ= 「交換価値」を徹底的に分析することにしたんです。

 確かに10kgの米と、1枚のDVDビデオが同じ1500円で交換できるというのは、よくよく考えると不思議なことですね。 かたや「食欲」を満たす、かたや「精神」を満足させる。商品の「質」に着目しては、何故同じ尺度で測ることが出来るのか、 訳がわからなくなる。
 続けてください。
 例えば、私が資本家だったとして、2000万円で原材料を仕入れ、月給25万円で働く労働者を40人雇って、 1ヵ月で1万円の商品を4000個つくったとする。
 この商品が無事貨幣に交換されれば、私の手元には4000万円のお金が残る。
 最初に持っていた3000万円が、1ヵ月で4000万円に増えるわけです。

 なるほど。

 私が仕入れた原材料も、私以外の資本家が原材料を仕入れ、労働者を使って生産した商品です。 その資本家もさらに別の資本家から原材料を買って、労働者を使って・・・以下略!
 その無限の連鎖を最後まで続けると、、、
 結局、商品の価格に含まれるのは、労働者に支払われた賃金と資本家に支払われた利潤とに分割することが出来ます。
 最初の例だと、半分が労賃・半分が利潤ということですね。

 実際は、一つの会社から原材料を買う訳じゃないですし、 原材料と労賃と利潤の比率も産業ごとにまちまちでしょうから、複雑に見えるんでしょうけどね。

 そうなんです。ただしこれだけは言えるんです。
 原材料を商品にするためには、労働者による労働が加わらなくてはいけない=原材料から商品への変化の過程で「労働」 によって「価値」が付け加えられた。
 と。

 なるほど、

 そこで、私は価値増殖の唯一の担い手である「労働」に着目して「価値」の増殖分と比例して増える「必要労働時間」 こそ、商品の「交換価値」を測る尺度の元になるんじゃないかと考えたんです。
 いや?。僕の理論水準に合わせて、資本論の中身をずいぶん乱暴にはしょって説明していただいて、 ホントに申し訳ありません。
 続けてください。
 単に、商品をつくるのに必要な労働時間が増えれば商品の価値が高くなるというのは実際と合わないわけです。 労働者がサボれば商品が高くなるわけじゃありませんからね。
 実際には様々な資本家が同じ商品をつくり、市場で販売競争をするわけです。先程述べた「必要労働時間」 というのは正確に言えば「社会的必要労働時間」ということになります。

 なるほど。

 ここまでは「価値」と「価格」を区別しないで説明しましたが、実際にはある資本家は新しい技術によって 「社会的必要労働時間」よりもより少ない「労働時間」で商品を生産可能になることがあり得ます。
 しかし、市場では他の資本家が自分よりもより長い「労働時間」で作った商品と並べられます。同じ「使用価値」を持つ商品なら 「価格」は同等。ということで「価値」以上に高い「価格」で売れる場合もあれば「価値」以下の「価格」 でしか売れないこともある。
 しかし、生産技術の発展などはすぐに社会全体に広がりますし、発展に乗り遅れた競争相手が倒産すれば、 同水準の会社だけが市場に残ってまた競争を繰り広げるわけですから、究極的には「価格」は「価値」 の前後を行き来することになるわけです。
 「価値」と「価格」の関係は、説明を分かりやすくすればするほど混同してしまいがちな概念ですからね。
 「価値」は「社会的必要労働時間」によって決まる。
 「価格」は市場の競争通じて(需要と供給のバランスで)決まる、、、
 ところで、資本家から見ると原材料も労働者も、自分が売りたい「商品」を作り出すために、仕入れなくちゃいけない 「商品」という点では同じです。
 つまり「労働力」も商品なんです。

 なるほど。資本家には逆立ちしたってなれない労働者階級の者にしてみれば「人間を『物』扱いするな!」 って言いたい気分ですけど。

 そうなんです。「労働力」という「商品」は、 他の商品とは決定的に異なる「使用価値」を持っているんです。
 それが「労働」をするということ。つまり「価値を増殖させる」と言うことなんです。

 そして「労働力」の「価値」「労働」が産みだす「価値」の間に差が生じる!その差が資本家の取り分=「剰余価値だと言うわけですね。

 (・・・一番おいしい結論をおまえが言うんじゃねーョ!)
 まあ、そういうことです。
 だから、剰余価値は「労働力や商品を価値通り買い」「作った商品を価値通りに売る」だけでも産み出されるわけです。
 その課程で「生産的な労働」が行われた場合にはね。
 さて、長い前フリでしたが、そろそろグーグルの話に・・・

 まだまだ、前フリが続きますよ

エー!


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